私の前職は
小学校の先生でした
学ぶことを楽しいと思ってほしい
そんな想いで
子どもたちと接して
授業をしていました
でも
教師という仕事は
想像を遥かに超えていました
"人間相手の仕事"
そのまま人間力が試される
子どもたちが
色々な悩みをかかえ
恵まれない環境で育ってきた子もいる
ぬくぬくと
温かい家庭で
三姉妹の末っ子として育ち
大学を出たばかりの
小娘の私には
対応するには
経験値が足りなさすぎました
今ならきっと分かる
けど当時の私には
今どんな気持ちで
その子どもたちが毎日を暮らしているのか
想像することが難しかったんです
今なら、きっと
大丈夫だよ、って声をかけてあげて
たくさんの愛情を
かけてあげれると思います
そんなとき
結婚がきまり、
遠い北海道への引っ越しが
決まりました
正直、これで仕事を辞められる、、、、
子どもたちには
申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど
本音はそうでした
ある女の先生が私に
言った言葉がふと頭をよぎりました
"クラスの子どもが全員
自分のことを好いてくれて
自分の言葉を
聞いてくれるわけじゃないのよ
1人でも自分の言葉を聞いてくれたら
それでいい、
そのくらいの気持ちでやらなくちゃ"
今思えば
受け持ったクラスの中に
若い先生だった私を
支え続けてくれていた子どもたちが
たくさんいました
たくさんの
いい子たちに恵まれていました
本当にありがとう
私は先生と呼ばれるような
大した人間ではないし
お金をいただいて
貴重な体験をさせていただいた
という気持ちです
誰でもできるわけではない
素晴らしい体験をさせていただいた
数年間でした
退職を機に
関東から
遠方の北海道へ引っ越し
子どもが生まれ
苦労もありながら
新しい土地で
優しいお友達もたくさんできました
自然豊かなのんびりとした
北海道で
息子が3歳になるまで
過ごしました
北海道が大好きになりました
その頃
2人目の女の子を出産しました
コロナが流行ったり
大変な時期ではありましたが
2人の子宝を授かり
幸せな日々を今でも思い出します✨
その頃転勤が決まり
次は
三重へ引っ越しとなりました✈️
新天地で新生活がはじまる✨
希望を胸に三重へ
でも
知り合いがいない、、、
友達がいない、、、
あんなに希望に満ち溢れて
新しいお家を選んだのに。。。
お家に呼ぶお友達も
お茶をする相手も誰もいない
北海道であんなに楽しかった育児が
全く楽しめない
今頃北海道のみんなは
何をしているのかな、、
みんなで遊んでいるのかな
そんなことを考えては
泣いてしまうこともあるくらい
スマホのカメラロールを
見返すのも悲しくてやめました
三重という土地に慣れず
赤ちゃんを小さな部屋で
面倒見ながら
このままでは
もしかすると
私はだめになるかもしれない
初めてそう思った瞬間でした
元に戻ることはできない
進むしかない
くよくよしててもしかたない
私、やりたいことをやろう
好きなことをする母親の背中を見せながら
子どもを育てたい
そう思い始めました
まだ外に働きに出ることはできないけれど
インターネットがあるこの時代
社会とつながることは
いくらでもできる
アクセサリーをデザインして
売りたいと
アクセサリー作りを始めました
よく
子どもが寝てから
自分で使う
ビーズでマスクストラップを作ったり
ネックレスを作ったりしていて
幼い頃から手先が器用で
何かを作ることが大好き
私の作ったものが
誰かの元へ届けられる日はくるのかな
そんなことを思いながら
アクセサリー作りに
没頭していました
そんなある日
キャンプ場である通知が届きました
"あなたの作品が売れました"
驚きとともに、わくわくが
止まらなくなりました
あの初めてのお客さまがいなければ
今の私はいなかったと思います
そしてビーズステッチという
新しいビーズの技法に出会い、
ビーズを編んでいく、という
美しいビーズステッチの虜に
ビーズはたくさんの方との
ご縁を繋いでくれました
今、こうして
文章を読んでいただけるのも
今まで色んな
出会い、葛藤、苦労があったから
一粒一粒のビーズに
私の全身全霊をかけて
1人でも多くの方の
笑顔の瞬間を増やしたい
明日に希望を持ちたいと願う
全ての女性へ
「よし、今日もはじまる」
「うん、がんばろ♩」
「自分1人じゃない」
どんな一歩でも
その手助けになるような
その希望の輪が
日本中に広がることを願い
アクセサリーをお届けできたら
うれしいです☺️✨
長い文章にも関わらず
DAISY MAMAに興味を持って
最後まで読んでくださり
ありがとうございますした♩♩